フロムカナダのブログ

日本のポップス/ロックバンド、 フロムカナダのブログ。

2018年12月

長くなります。



1979.9.18
静岡県は沼津市にて六人家族、三兄弟の末っ子として生を授かる。
3,000グラム台の大きな赤ちゃんで出産は帝王切開。
知ったのは小学生の頃「そうか、おれ(やっぱり)帝王だったんだ。。。」と、
選ばれし者の恍惚と不安をかんじる。


1984~
このころから記憶がある。幼稚園で飼っていた鶏に放尿して滅茶苦茶叱られた
(なんでぼくがしかられなくちゃいけないんだ?と思った)こととか
北海道のじゃがバターの甘さとかお母さんとおばあちゃんが本当に好きなこととか。
ぼくは愛情でしっかりと守られて、何一つ不安のない気持ちだった。
ぼくの、いわゆる性善説におおきく傾いた考えはこの頃に作られたんだと思う。


1986~
小学校時代。当時は教師の立場がとても強く、強烈な体罰やセクハラがまかり通っていた。
(原因に対して体罰は厳しく、生徒の流血もよくみられた。
正座の姿勢で教師とクラスメート全員の唾を頭から浴びせられた子供もいた。)
ぼくは持ち前の能天気で、楽しい学校生活を送る。初めての恋、精通。
父親の趣味で、長い休みにはキャンプへ連れて行ってもらう。自然好きになる。
音楽を聴くのが特別好きではなかったものの、ときおり耳にする
素晴らしいメロディや音色は、ぼくを想像力の世界に連れて行った。


1992~
中学校時代。強くなってみたいと柔道部に入部。
程なくしてプロレス鑑賞が趣味になり、将来レスラーになろうと体を大きくする努力をする。
成績は少しずつ悪化していたが気にしなかった。(親と揉めるも、反抗期は訪れなかった)
高校時代まで続くことになる激しい片思いをしたが、切ない結果に終わる。
アトピーが悪くなり、症状が顔に及ぶ。強いコンプレックスを覚える。
友達といるのは好きだったが、集団の一員としてなじむも反発するも上手くできずに悩む。
シンプルでない人間関係のなか立ちまわることに徒労を感じた。
ぼくの根暗さはこのあたりから芽を出したと思う。


1995~
高校時代。それほどレベルの高くない高校に入学、レスラーの夢は現実味を帯びてこず。
思うところあり少し勉強を頑張って二年生のときに普通科から進学科へ。
柔道部の友人から借りて観た布袋寅泰のライブビデオに衝撃を受ける。
1996.6.8~
通販で注文したエレキギターが届く。FERNANDEZのFGZ-400。
チューニングがされていない状態のギターを、練習用のミニアンプを音量全開にして
母親と祖母の前で聴かせる。押弦はせずピックで開放弦をかき鳴らした。ひどい音だった。
毎日欠かさず練習する。日曜日は朝から晩まで。
半年後には淡い目標であった布袋寅泰の「GLORIOUS DAYS」を弾けるようになる。
母親の前で披露したときは誇らしく、一度つけた技術は失うことがないと思うと胸が満たされた。
以後様々な楽曲を耳コピする。卒業時にはちょっとは弾けるギタリストになっていた。


1998~
大学時代。居住を和歌山県高野山に移す。
髪を金色に染め奇抜なファッションでギターケースを担ぐ、悪目立ちする学生だった。
音楽を通じて出会った友人は縁が深く、関係には刺激と安心があった。
辺境の地であることも手伝って、ぼくらは濃密で素晴らしい時間を過ごした。
夏休みの帰省中に初めて作曲をする。インストゥルメンタルを5曲。
ろくに授業に出席せず音楽に没頭する日々の中、プロになりたいと思うようになる。
1999.8
ドラマーの友人を巻き込んで、ともに大学を中退する。ずいぶん親と揉めた。


1999~
活動黎明時代。居住を大阪市阿倍野区に移す。
友人の弟の友達の友達の子と付き合う。人生初の彼女。程なくして同棲生活をはじめ
音楽的に不毛な時代を過ごす。自分に内なるエネルギーがあるのは分かるのだが
その表現にいまいち確信が持てなかったし、同棲に加えて
初めての都会暮らしは田舎者のぼくにとって刺激にあふれていて音楽どころではなかった。


2002~
エイリアンズ時代。活動期間は八年弱。時期によって居住を点々とする。
vocalに彼女、bassに大学時代の先輩を迎えてknock note alienという
ポップ/ロックバンドを組む。愛称エイリアンズ。
二年目に家業を継ぐため初代ドラマーが辞めて、何か月間か二代目ドラマーが叩くも
相性が合わずに早々辞退。
(ライブ中、一曲目の途中で彼はステージを去っていった。ぼくは泥酔していて
ギターを叩き割った。すごい夜)
2004年に三代目ドラマーが加入してから活動は本格化していく。
メンバー全員で同居し、寝食を共にした。バンドのスタイルは固まり
ぼくは確信の持てる自分の表現を見つけ、バンマスとして指揮棒を振った。
(いまの奥さんと知り合ったのもこの頃)
2006年にインディーレーベル「十代暴動社」よりフルアルバムをリリース。
東京に拠点を移し活動するなかで、バンドはすこしずつ空中分解を始める。
2010.10
bassが辞めると宣言。バンドも解散を決定。
みんなとても疲れてしまっていたし、
ぼくはこの頃、あきらかに思いやりに欠けた人間だった。潮時だ。
2010.12
ラストライブ「エイリアンズの結婚式」を終え解散。
若い時代を共に駆け抜けた仲間。文字通り同じ釜の飯を食った仲間。言葉にならなかった。


2011.1.1~
暗黒時代。いったん静岡の実家に戻る。
一人でも音楽活動ができるように機材を揃え、専門スクールに通うための
貯金活動の拠点とさせてもらう。ずたずたの心境で、馬車馬のようにはたらく。


2011.9~
DTM(デスクトップミュージック)時代。居住は大阪市西成区。
スクールに通いPCでの音楽の作り方を学ぶ傍ら、ソロ名義の6曲入り音源を作成。
からっぽの時期からようやく新章スタートを切った思いがした。
2012年、初の就職。人生で大事なタイミングにすぐ動けるようにと
全国に転職可能な施設があり、経験年数と資格がものをいう介護業界に飛び込む。


2012.2~
cabets時代。時期によって居住を点々とする。
大学時代の友人をA guitar、bassに迎えドラムレスのポップスバンドを結成。
自主企画を開催しつつ、アレンジの優れたバンドを目指し活動する。
2016年、結婚に伴い大阪市から和歌山県那智勝浦町に移住。
2017.1.6
長男誕生。(いわゆる おれもやきが回ったよ状態)
同年8月、cabetsでの活動休止。
ぼくは何としても本当にいいバンドをつくりたかった。


2018.7.26
フロムカナダ結成。ハイペース、濃密な活動で良バンドを目指す。






振り返ると人生って短い。
自分の思うとおりに生きてこれてよかった。
過ぎたことは何でも良い思い出にできちゃうところが
ぼくの一番いいところです。

最後まで読んでくれてありがとうございました。良いお年を!

atamakaiji(フロムカナダ/vocal,guitar)

現実逃避って好きな人にふられて、家に居るのはつらいからひとりで沖縄旅行に行っちゃうとか、そういうこと?家に居るにしろ、沖縄にいるにしろまあ苦しいことに変わりないですよね。こころ沖縄にあらずだし。ま、人間どうしようもなく頭が混乱した時はしょうがないか。

改めて現実逃避という言葉について考えてみると、よく分からなくなってくる。何かを面白がってやっている自分を顧みたとき、その行動は現実逃避なのか、そうでないのか、結構判別しにくいものですよね。そんな分かりにくさはあるにしても、ただ、安易な現実逃避はほどほどにしようということは心に留めています。
仕事から家に帰って、ひとりになった時、外的な刺激がなくなって心が彷徨い始めた時、すぐに心配事が心を占領してくる。だから、間髪入れずにアンプの電源を入れて音楽をきく、テレビをつけて映画をみる、YouTubeをみる、ネットショッピング、スマホを手にSNSを眺める。そんなことを綱渡りのように行う。そうやって仕事以外の時間を、有料、無料で提供されるサービスをあてにして刺激を得ながら毎日しのいでいるわけだけれど、自分では何もしてないんですよね。
また安易な現実逃避といえば、アルコールとか薬物の常用も思いつく。現実はわけのわからないことが起きるし、自分の思い通りにならないことばかりだし、自分が誰なのかよく分からなくなる時もある。そんな無秩序な現実のなかで不安に押しつぶされそうになったとして、じゃあクスリで感覚をほどよく麻痺させたら万事解決、、、とはならない。薬物を使っても自分が深いところで変わることはない。感覚を鈍らせている間は自分にとって本当の意味で新しい発見をする機会や、心の深いところで人と出会う機会が閉ざされていると言ってもいい。アルコールや薬物で意識が拡張されたような感覚があったとしても、実際は認知能力を低下させているだけという側面が強いと思う。元来、引っ込み思案なのに酒の力で普段はしないようなことが出来たとしたら、はじめのうちは新鮮味を感じるだろうけど、その状態で何かを作っても、表層的でつまらないものであることが多い。こういう現実への向き合い方は、赤ちゃんに戻りたいと言っているのと似た様なものですよね。
僕の経験上、安易な方法での現実逃避はやればやるだけ、あとから揺り戻しがくる。それはしんどい。そこで問題になるのは、自分がやっていることがそういう類の逃避でないかどうか、どうしたら判断できるのかということだ。僕の場合は「それをやると健やかな感じの元気が出るかどうか」をひとつの基準にしている。たとえば、料理をしていると束の間、時間を忘れるぐらい自然に集中できる。だから毎日、仕事が終わって家に帰ったらまず料理を作る。今日は里芋を料理しました。自分のレベルにあった単純な料理に挑戦していると、不思議な感覚だけれど、ほとんど疑問を挟む余地なく心地良いと感じる。おいしく出来るとなお嬉しい。美味しいか、美味しくないかというフィードバックがすぐ得られるのも分かりやすくて好きです。料理している間、なんとなく納得感があるといえばいいでしょうか。そんな感じ。これまで散々、安易な方法で現実逃避してきて、今になってやっと納得感のある楽しみがどういうものなのか少しわかってきました。これは僕にとって喜ばしいことです。


今年最後の回も長々と書いてしまいました。10月にスタートしたこのブログ、いつもお読みいただき大変嬉しく思っております。それにしても年の暮に薬物がどうのこうのって、、、。

良い年をお迎えください。

  lockie(フロムカナダ/bass)

こんばんは
こんにちは
おはようございます



monpeです



年の瀬ですね。

当ブログをみてくださっている皆様
仲良くしてくださっている関係者の皆様
本年は大変お世話になり、本当にありがとうございました。

年が明けましたら
フロムカナダ since2018〜
と、これからどんどん歴史を重ねて参りますが、我々フロムカナダ一同とってもおもしろいことを沢山秘めておりますので、来年も何卒よろしくお願い申し上げます。


さて、ぼくにとっては今年最後のお題

「現実逃避」

これはもうぼくがよく言ってる
「暮らし」
「生活」
の対義語のようなものですね。笑

個人的に現実逃避したことでいい思い出になってないので、今の生活をよく見てみれば現実逃避とは無縁になってます。


ぼくの頭の中には悪いイメージの言葉として認識されてるんですよね。



これみてくださいよ。これ。
ぐぐりました。

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悪しき状態でしょう?

イラストの影の男性もげっそり落ち込んでるじゃないですか。

現実逃避の代名詞と言わんばかりのお酒。
しかもこれウイスキーとかの部類でしょうね。強めの。

こういう状態が現実逃避のスタンダードだと思うんですが、経験上こうなっても全然いい方向にいかないんですよねぇ。




大きく現実逃避して、大転倒して周りの人の人生をガラッと変えてしまった苦い経験がありますから、逃避するのは良くないことだと教訓としてあります。


それから堅実な生き方を学んで、今はフロムカナダでやりたいこと、monpeとしてやりたいことが明確にあるので、逃避している暇がありませんのです。



そういう生活を知り得ると、当たり前で平凡な中に素晴らしい世界がみえますよ。


ハロー
今君に素晴らしい世界がみえますか?
(銀河鉄道の夜)








良いお年を。




monpe(フロムカナダ /Dr.)

夏休みの宿題を8月31日まで見ないふりをする、あの感じですね。
焦ってしまって「怖い世界でもいい、8月32日が欲しい」と、ついつい
願ってしまった少年はこっちに帰ってこれたんでしょうか。


ぼくは自分に甘く他人に甘いスイーツおじさんであり、
現実逃避オーケーどうぞどうぞおじさんです。
ただでさえ(とらえようによっては)世知辛くて生きにくい世の中
いいじゃないですかちょっとくらい逃げたって。
その先にしかない痛快というのもたしかにあるし
暮らしの抑揚はそうやってつける、のかもしれません。


逃げるも攻めるも、大切なのは主体性だと思います。
自分の人生を面白くしてくれるもの、幸せを自分で決めて、そこだけは筋を通して
辛くても精一杯やる。そこで逃げちゃうとあとが苦しい。しんどい。
それに対して重要じゃないところは、そこそこがいいと思います。
そこでヘンに肩に力いれてる人は、ある方向から力が加わると
ガラス製の自尊心がガラガラと崩れちゃう。
それはほんとに、見ていられない瞬間です。

なんだか珍しく真面目ぶっこんでしまいましたが、つまりは
どーせ死んじゃうんだし、全部できっこないんだから
筋を一本通したらあとは楽しく生きたいな~というのが、ぼくの逃避観です。



あ、メリークリスマス!
すてきなイヴを!

atamakaiji(フロムカナダ/vocal,guitar)

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歳をとった自分の現状を眺めて「なんでこんなふうになっちゃったんだろう」と思ったことがありますか。僕はあります。「もっと立派になれなかったのか」なんて。

今週のお題は「映画」ということで、僕は『ベター・コール・ソウル』を選びました。
この作品のファンの方も多いのではないでしょうか。ただ映画ではなくドラマシリーズですが。

まず猥雑さがありながら洗練されている映像に目が惹きつけられます。
さらに音楽が絡むと見ていてテンションが上がります。本当に掴みがうまいなあ。
主人公のジミーはワケありの人間を相手に商売をするセコい弁護士だったのですが、あるゴタゴタに巻き込まれたせいで過去も名前も捨てて知らない土地に逃げ、現在はショッピングモールのテナントでシナモンロールを売っています。
このシリーズは時を遡ってジミーがなぜ”悪徳”弁護士になったのかが描かれています。
とにかく口が達者だというのが彼の天性。ほとんど詐欺師みたいな男です。真っ当な弁護士として成功しようと努力するけれど、ことごとく失敗します。
兄想いであったりと性根が非情でないがゆえに窮地に陥ったりしてドラマが展開していくわけです。
並みの人間だったらとっくに心が折れてしまうような状況でも、彼の場合はその度に逆転を狙って策を弄します。そのやり口は犯罪まがいのものですが。
ただ、彼の望む成功を阻んでいたのは信じる人物の裏切りだったことを知った時、彼の中で何かが変わります。彼の中にあったあたたかい感情がじわじわと殺されていくように映ります。
降りかかる災難を前にした時、それに立ち向かうか、はたまた無気力になるのか、人によって反応の仕方は様々でしょう。それは意思による選択というよりも、どう転んでもそうとしか生きられないリアルな人間の姿だと思います。
ジミーの場合はどんな状況でも、どんな手を使ってでも勝負に出るのです。
ここでは”裏切り”という分かりやすい出来事がありましたが、その背後には無数の、彼の良心を殺すに足る要因(ひとつひとつのそれは些細なものだったりします。)が折り重なっているのです。ただ一度、ジミーが暗い駐車場にとめた自分のボロ車の中で悔しい感情を抑えきれず泣くシーンがあります。そうやって人は自分の中で何かを殺して生き方を選んでいくのだなあと思います。見方を変えれば、何か別の力によって選ばされていると言っていいのかもしれません。

ドラマを観ている僕らはジミーが落ちぶれるのを知っています。逃亡者として怯えながらシナモンロール店で働くサエないオヤジとしての未来です。しかし、果たしてこれがどん底といえるのか、それも分かりません。死なないで生きている限りは何が起こるか知りようがないんですから。もっと打ちひしがれることがあるかもしれないし、思いがけず人生が好転するかもしれない。運命に翻弄されながらも生きている、その姿が胸に刺さりますね。

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  lockie(フロムカナダ/bass)


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