1979.9.18
静岡県は沼津市にて六人家族、三兄弟の末っ子として生を授かる。
3,000グラム台の大きな赤ちゃんで出産は帝王切開。
知ったのは小学生の頃「そうか、おれ(やっぱり)帝王だったんだ。。。」と、
選ばれし者の恍惚と不安をかんじる。
1984~
このころから記憶がある。幼稚園で飼っていた鶏に放尿して滅茶苦茶叱られた
(なんでぼくがしかられなくちゃいけないんだ?と思った)こととか
北海道のじゃがバターの甘さとかお母さんとおばあちゃんが本当に好きなこととか。
ぼくは愛情でしっかりと守られて、何一つ不安のない気持ちだった。
ぼくの、いわゆる性善説におおきく傾いた考えはこの頃に作られたんだと思う。
1986~
小学校時代。当時は教師の立場がとても強く、強烈な体罰やセクハラがまかり通っていた。
(原因に対して体罰は厳しく、生徒の流血もよくみられた。
正座の姿勢で教師とクラスメート全員の唾を頭から浴びせられた子供もいた。)
ぼくは持ち前の能天気で、楽しい学校生活を送る。初めての恋、精通。
父親の趣味で、長い休みにはキャンプへ連れて行ってもらう。自然好きになる。
音楽を聴くのが特別好きではなかったものの、ときおり耳にする
素晴らしいメロディや音色は、ぼくを想像力の世界に連れて行った。
1992~
中学校時代。強くなってみたいと柔道部に入部。
程なくしてプロレス鑑賞が趣味になり、将来レスラーになろうと体を大きくする努力をする。
成績は少しずつ悪化していたが気にしなかった。(親と揉めるも、反抗期は訪れなかった)
高校時代まで続くことになる激しい片思いをしたが、切ない結果に終わる。
アトピーが悪くなり、症状が顔に及ぶ。強いコンプレックスを覚える。
友達といるのは好きだったが、集団の一員としてなじむも反発するも上手くできずに悩む。
シンプルでない人間関係のなか立ちまわることに徒労を感じた。
ぼくの根暗さはこのあたりから芽を出したと思う。
1995~
高校時代。それほどレベルの高くない高校に入学、レスラーの夢は現実味を帯びてこず。
思うところあり少し勉強を頑張って二年生のときに普通科から進学科へ。
柔道部の友人から借りて観た布袋寅泰のライブビデオに衝撃を受ける。
1996.6.8~
通販で注文したエレキギターが届く。FERNANDEZのFGZ-400。
チューニングがされていない状態のギターを、練習用のミニアンプを音量全開にして
母親と祖母の前で聴かせる。押弦はせずピックで開放弦をかき鳴らした。ひどい音だった。
毎日欠かさず練習する。日曜日は朝から晩まで。
半年後には淡い目標であった布袋寅泰の「GLORIOUS DAYS」を弾けるようになる。
母親の前で披露したときは誇らしく、一度つけた技術は失うことがないと思うと胸が満たされた。
以後様々な楽曲を耳コピする。卒業時にはちょっとは弾けるギタリストになっていた。
1998~
大学時代。居住を和歌山県高野山に移す。
髪を金色に染め奇抜なファッションでギターケースを担ぐ、悪目立ちする学生だった。
音楽を通じて出会った友人は縁が深く、関係には刺激と安心があった。
辺境の地であることも手伝って、ぼくらは濃密で素晴らしい時間を過ごした。
夏休みの帰省中に初めて作曲をする。インストゥルメンタルを5曲。
ろくに授業に出席せず音楽に没頭する日々の中、プロになりたいと思うようになる。
1999.8
ドラマーの友人を巻き込んで、ともに大学を中退する。ずいぶん親と揉めた。
1999~
活動黎明時代。居住を大阪市阿倍野区に移す。
友人の弟の友達の友達の子と付き合う。人生初の彼女。程なくして同棲生活をはじめ
音楽的に不毛な時代を過ごす。自分に内なるエネルギーがあるのは分かるのだが
その表現にいまいち確信が持てなかったし、同棲に加えて
初めての都会暮らしは田舎者のぼくにとって刺激にあふれていて音楽どころではなかった。
2002~
エイリアンズ時代。活動期間は八年弱。時期によって居住を点々とする。
vocalに彼女、bassに大学時代の先輩を迎えてknock note alienという
ポップ/ロックバンドを組む。愛称エイリアンズ。
二年目に家業を継ぐため初代ドラマーが辞めて、何か月間か二代目ドラマーが叩くも
相性が合わずに早々辞退。
(ライブ中、一曲目の途中で彼はステージを去っていった。ぼくは泥酔していて
ギターを叩き割った。すごい夜)
2004年に三代目ドラマーが加入してから活動は本格化していく。
メンバー全員で同居し、寝食を共にした。バンドのスタイルは固まり
ぼくは確信の持てる自分の表現を見つけ、バンマスとして指揮棒を振った。
(いまの奥さんと知り合ったのもこの頃)
2006年にインディーレーベル「十代暴動社」よりフルアルバムをリリース。
東京に拠点を移し活動するなかで、バンドはすこしずつ空中分解を始める。
2010.10
bassが辞めると宣言。バンドも解散を決定。
みんなとても疲れてしまっていたし、
ぼくはこの頃、あきらかに思いやりに欠けた人間だった。潮時だ。
2010.12
ラストライブ「エイリアンズの結婚式」を終え解散。
若い時代を共に駆け抜けた仲間。文字通り同じ釜の飯を食った仲間。言葉にならなかった。
2011.1.1~
暗黒時代。いったん静岡の実家に戻る。
一人でも音楽活動ができるように機材を揃え、専門スクールに通うための
貯金活動の拠点とさせてもらう。ずたずたの心境で、馬車馬のようにはたらく。
2011.9~
DTM(デスクトップミュージック)時代。居住は大阪市西成区。
スクールに通いPCでの音楽の作り方を学ぶ傍ら、ソロ名義の6曲入り音源を作成。
からっぽの時期からようやく新章スタートを切った思いがした。
2012年、初の就職。人生で大事なタイミングにすぐ動けるようにと
全国に転職可能な施設があり、経験年数と資格がものをいう介護業界に飛び込む。
2012.2~
cabets時代。時期によって居住を点々とする。
大学時代の友人をA guitar、bassに迎えドラムレスのポップスバンドを結成。
自主企画を開催しつつ、アレンジの優れたバンドを目指し活動する。
2016年、結婚に伴い大阪市から和歌山県那智勝浦町に移住。
2017.1.6
長男誕生。(いわゆる おれもやきが回ったよ状態)
同年8月、cabetsでの活動休止。
ぼくは何としても本当にいいバンドをつくりたかった。
2018.7.26
フロムカナダ結成。ハイペース、濃密な活動で良バンドを目指す。
振り返ると人生って短い。
自分の思うとおりに生きてこれてよかった。
過ぎたことは何でも良い思い出にできちゃうところが
ぼくの一番いいところです。
最後まで読んでくれてありがとうございました。良いお年を!
atamakaiji(フロムカナダ/vocal,guitar)